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横浜地方裁判所 昭和28年(ワ)1296号 判決 1958年5月13日

原告 中田由蔵

被告 山口義雄 外三名

主文

一、被告山口義雄同大西清輔の両名は原告に対し各自金三十万円を支払え。

二、原告の其の余の請求は之を棄却する。

三、訴訟費用は五分し、其の四を原告の負担とし、其の一を被告山口義雄同大西清輔の負担とする。

四、この判決は第一項に限り、原告において被告山口義雄同大西清輔に対し各金五万円の担保を供するときは、夫々仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告名和米次郎同武蔵野映画劇場株式会社は原告に対し別紙目録記載の土地三十五坪七合四勺を引渡せ。若し同被告等が右土地を引渡すことができないときは被告等四名は各自原告に対し金百五十万円を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、

その請求原因として、

(一)  原告は大正八年八月十四日以来、訴外三丸興業株式会社(もとは渡辺同族株式会社と称した)からその所有に係る別紙目録記載の土地三十五坪七合四勺を、建物所有の目的で期間の定めなく賃借し、その賃料は昭和二十年当時は一ケ月金十五円で月末払の定めであつた。そして右借地権については登記をしていなかつたが、原告は右地上に登記した木造亜鉛葺二階建店舗一棟建坪二十七坪五合二階坪二十二坪の建物を所有し、其処で豆類加工卸小売業を営んでいた。

(二)  ところが右建物は昭和二十年五月二十九日の戦災で焼失したので、原告は間もなく同地上に数坪のバラツク建物を建築し其処に住んでいたが、同年九月二十二日本件土地を含む附近一帯の土地が進駐軍のため接収せられ、右バラツク建物は除却せられたので、爾来原告は本件土地を使用することができず肩書地に移転するのやむなきに至つたが、昭和二十八年六月十一日やうやく右接収が解除された。

(三)  その間本件土地の所有者である訴外三丸興業は昭和二十四年十二月二十七日に本件土地を被告山口義雄に売渡し、次いで同被告は昭和二十六年十月三日に之を被告大西清輔に売渡し、更に同被告は昭和二十七年七月十日に之を被告名和米次郎同武蔵野映画劇場株式会社に売渡して各その所有権移転登記手続を完了し、現在は右被告名和及び武蔵野映画劇場の共有となつている。

(四)  然しながら原告の借地権は、前述の如く借地法施行前たる大正八年八月十四日に訴外三丸興業から期間の定めなく借受けたものであるから、大正十年借地法の施行により、同法第十七条の規定によつてその存続期間は同法施行前に経過した年月を加えて二十ケ年即ち昭和十四年八月十三日までと定められ、更にその後も引続いて地上建物を所有し賃借を継続して来たので法定更新により更に二十ケ年即ち昭和三十三年八月十三日まで存続すべきものであり、その存続期間中なる昭和二十年五月二十九日に前述の如く原告所有の登記せる地上建物が戦災によつて焼失したのであるが、斯る戦災による地上建物の滅失によつて借地権が消滅するものではなく、罹災都市借地借家臨時処理法第十条によれば、原告の右借地権は、借地権の登記がなくまた地上建物の登記がなくても、昭和二十一年七月一日から五ケ年以内たる昭和二十六年六月三十日までの間に本件土地について権利を取得した第三者に対抗し得るのである。

而して以上のような関係にあるため、原告は本件土地の元所有者たる訴外三丸興業株式会社に対し昭和二十三年九月八日附書留内容証明郵便を以て引続き本件土地の賃借方を申入れ、更に昭和二十四年十二月二十七日に本件土地が三丸興業から被告山口義雄に売渡された後は同被告に対して屡々借地権の承認を申入れた。その結果昭和二十六年六月二十六日に至つて被告山口は原告の従来の借地権を承認し、その基礎に立つて同日改めて原告との間に「本件土地を店舗住宅所有の目的で原告に賃貸する。期間は三十年間とし接収解除の日から使用を開始する。賃料は使用開始の際に協定する。右賃借権については何時にてもその登記手続をする。尚本件土地を他に売却する場合には原告の賃借権維持について責任を負う。」との契約が成立した。

そして右の如き契約があつたので、被告山口が被告大西に本件土地を売渡すに際しては、被告大西において原告の右借地権を承継するとの約束のもとに借地権つきで売渡したものであり(ちなみに被告大西が被告山口から本件土地を譲受けた日時は、登記簿上は昭和二十六年十月三日となつているけれども、実際に譲受けた日時はそれよりも以前のことで、被告大西は被告山口に対して昭和二十六年三月本件土地につき仮処分を行つているのであるから、斯る点から見れば被告大西は罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の昭和二十一年七月一日から五ケ年以内たる昭和二十六年六月三十日以前に本件土地の所有権を取得しながら、同条の適用を回避するために五ケ年の期間経過後たる同年十月六日に至つて同月三日付売買を原因として所有権移転登記を為したものと推認されるのである。)、また被告大西から被告名和米次郎同武蔵野映画劇場株式会社に本件土地を売渡す際にも、当事者間において原告の借地権を承継するとの約束のもとに借地権つきで売渡したものである。よつて原告は本訴(昭和二十九年七月十五日の口頭弁論)において民法第五百三十七条の規定に基き受諾の意思表示をした。

以上の次第であるから、原告は被告山口に対しては勿論のこと、被告大西及び被告名和同武蔵野に対しても借地権を有することを主張し得るものである。

(五)  仮に右主張が認められないとしても、既に述べた如く原告は本件地上にもと登記した建物を所有していたのであり、この建物が昭和二十年五月二十九日戦災によつて焼失したのでその跡へバラツク建を建築したところ、昭和二十年九月二十二日接収によつて右建物が除却せられたのであるから、原告は接収不動産に関する借地借家臨時処理法第三条第二項の適用ある借地権者である。よつて原告は昭和三十一年十二月三日附翌四日と五日到達の書留内容証明郵便を以て被告名和同武蔵野映画劇場に対し建物所有の目的で賃借の申出をした。従つて原告は本件土地につき借地権を有するものである。

尚仮に右主張が理由ないとしても、原告は同法第八条の保護を受くべき借地権者であるから、被告等全員に対して原告の借地権を対抗し得るものである。

(六)  然るに被告名和同武蔵野映画劇場は昭和二十八年五月二十二日頃から本件土地の周囲に板塀をめぐらして之を占有し、原告に本件土地を占有し、原告に本件土地を使用させることを拒否しているので、原告は借地権に基き右被告両名に対して本件土地の引渡を求める。

(七)  仮に若し右引渡が不能のときは、前述の如く原告は被告等全員に対して借地権を主張することができるのであり、従つて被告等はいづれも原告に対して本件土地を使用させるべき義務があるが、被告等はその義務を履行しないのであるから、原告は被告等に対して債務不履行による損害賠償を請求する。

而してその損害は原告が本件土地を使用収益し得ないことによつて蒙つた損害であるから結局借地権の価格によるべきものであり、従つて原告は接収解除当時における本件土地の借地権の価格又はその後に右価格に変動があつたときは本件訴訟終結までの間における最高価格によつて賠償を請求し得るわけである。

ところで本件土地は伊勢佐木町の中心街と野毛町中心街に至る中間に位し商業上枢要の土地であるから、その所有権の時価は坪当り金十万円を下らず、本件土地の価格は金三百五十七万四千円であり、原告の借地権の期間は三十年であるから借地権の価格はその八割に当る金二百八十六円を以て相当とする。よつて原告は被告等各自に対しその内金百五十万円を請求する。

と述べ、

証拠として、甲第一乃至第七号証、同第八号証の一乃至四を提出し、証人尾沢俊蔵同荒川雅雄同西園寺正雄の各証言、並に原告本人中田由蔵被告本人山口義雄同大西清輔同名和栄次郎被告武蔵野映画劇場株式会社代表者河野義一の各供述、及び鑑定人山高民三郎の鑑定の結果を援用し、丙第一号証及び丁第一第二第四号証の各一・二丁第三号証の一乃至三の成立を認め、丙第二号証は不知と述べた。

被告山口義雄訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として、原告主張の事実中、第一項の本件土地がもと訴外三丸興業株式会社の所有で原告が訴外会社から之を賃借していた事実、第二項中本件土地が原告主張の頃接収され昭和二十八年六月十一日接収が解除された事実、第三項中被告山口が訴外三丸興業から原告主張の日に本件土地を買受けた事実、第四項中被告山口が昭和二十六年六月二十六日本件土地についての原告の従来の借地権を確認した上改めて原告主張の如き契約を締結した事実、第七項中本件土地が伊勢佐木町中心街と野毛町中心街の中間に位する事実、は認めるが、その余は争う被告山口は本件土地を被告大西に売渡したことなく右土地は被告山口の所有である。と述べ、甲第一第二第四第五号証及び甲第八号証の一乃至四の成立を認め、甲第三号証は不知、甲第六第七号証は郵便官署作成部分の成立は認めるがその余の部分は不知と述べた。

被告大西清輔訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として、原告主張の事実第二項中接収解除の事実(但しその日時の点は除く)、第三項中被告大西が本件土地の所有権を取得し昭和二十七年七月十日之を被告名和米次郎武蔵野映画劇場株式会社に売渡した事実、は認めるが、其の余は争う。被告大西は被告山口を介して昭和二十四年十二月二十七日に本件土地を訴外三丸興業株式会社から借地権の附着しない土地として買受けたものである。仮に原告と訴外三丸興業との間に原告主張の如き借地権があつたとしても、昭和二十年九月二十二日本件土地が接収された当時右借地権の登記がなく且つ本件地上に原告の登記した建物が存在しなかつたから、進駐軍の接収中なると否とに拘らず、本件土地の所有権を新たに取得した被告大西に該借地権を以て対抗し得ない。と述べ、証拠として丙第一第二号証を提出し、甲第一第五号証及び甲第八号証の一乃至四の成立を認め、甲第二第三第四号証は不知、甲第六第七号証中郵便官署作成部分の成立は認めるがその余の部分は不知と述べた。

被告武蔵野映画劇場株式会社訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実第二項中接収が解除になつた事実(但し解除の日は昭和二十八年五月二十二日である)、第三項中昭和二十七年七月十日被告大西から被告名和同武蔵野映画劇場株式会社が本件土地を買受けその所有権移転登記を完了した事実、第五項中原告主張の如き賃借申出の書面が被告武蔵野映画劇場及び被告名和に到達した事実、第六項中被告武蔵野映画劇場が接収解除により本件土地の引渡を受けその周囲に板塀を設けた事実、は認めるが、その余は争う。たとえ原告が罹災前本件地上に登記した建物を所有していたとしても、被告名和同武蔵野映画劇場は罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の五ケ年の期間経過後に本件土地の所有権を取得した者であるから、原告の借地権は同被告等に対抗できない。また同被告等が被告大西から本件土地を買受ける際には借地権その他何等の権利も附着していない土地として買受けたもので、被告大西との間で原告の借地権を承継するというような約束をしたことは絶対にない。尚原告の借地権は登記がなく且つ本件土地が接収された当時原告は本件地上に登記した建物も所有していなかつたのであるから、原告は接収不動産に関する借地借家臨時処理法第三条第二項に該当する借地権者ではない。仮にそうであるとしても、被告武蔵野映画劇場は原告の右法条に基く賃借申出に対し、昭和三十一年十二月十日附翌十一日到達の書留内容証明郵便を以て本件土地を自ら使用する必要あることを理由として拒絶の意思表示をしたから原告の主張は理由がない。と述べ、証拠として丁第一第二号証の各一・二、丁第三号証の一乃至三、丁第四号証の一・二を提出し、甲第一第三第五号証同第八号証の一乃至四の成立を認め、甲第二第四号証は不知、甲第六第七号証中郵便官署作成部分の成立は認めるがその余の部分は不知と述べた。

被告名和米次郎訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、被告武蔵野映画劇場株式会社の答弁と同趣旨(但し請求原因第六項に関する部分を除く)のことを述べ、証拠として丁第一第二号証の各一・二丁第三号証の一乃至三を提出し、甲第一第三号証の成立を認め、甲第二第四号証は不知と述べた。

理由

(一)  本件土地が罹災土地であり、昭和二十年九月頃進駐軍のために接収され、昭和二十八年五月二十二日乃至同年六月十一日頃右接収が解除されたこと、及び本件土地を含む横浜市中区長者町八丁目百十九番地二百九十七坪八合九勺の土地につき、昭和二十四年十二月二十七日訴外三丸興業株式会社から被告山口義雄に同日附売買を原因として所有権移転登記が為され、次いで昭和二十六年十月六日被告山口から被告大西清輔に同月三日附売買を原因として所有権移転登記が為され、更に昭和二十七年七月十日被告大西から被告名和米次郎同武蔵野映画劇場株式会社に同日附売買を原因として所有権移転登記が為されていることは、弁論の全趣旨に徴して当事者間に争がない。

(二)  そこで先づ本件の事実関係の全般について検討するに、成立に争ない甲第一号証甲第五号証甲第八号証の一乃至四丙第一号証丁第一第二第四号証の各一・二丁第三号証の一乃至三と、被告山口との関係では成立に争なくその餘の被告との関係では原告本人の供述により成立を認め得る甲第二号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第三第四第六第七号証(尤も甲第三号証は被告名和同武蔵野が成立を認め、甲第四号証は被告山口が成立を認め、甲第六第七号証は全被告が郵便官署作成部分について成立を認めている)、被告本人山口義雄の供述により成立を認め得る丙第二号証、及び証人荒川雅雄同尾沢俊蔵同西園寺正雄の各証言、並に原告本人中田由蔵被告本人山口義雄同大西清輔同名和米次郎被告武蔵野映画劇場株式会社代表者河野義一の各供述、及び弁論の全趣旨並に前掲争ない事実を綜合すると、次の事実が認められる。即ち

(イ)  本件土地を含む横浜市中区長者町八丁目百十九番地の宅地二百九十七坪八合九勺は、もと三丸興業株式会社の前身たる渡辺合名会社の所有であつたが、原告は大正八年八月十四日頃右会社から本件土地三十五坪七合四勺を普通建物所有の目的で期間の定めなく賃借し、この借地権につき登記はしなかつたが、原告は右地上に登記した木造亜鉛葺二階建店舗一棟建坪二十七坪五合二階二十二坪の建物を所有し、其処に居住して豆類加工卸小売業を営み、昭和二十年当時における右土地の賃料は月額十五円で毎月末日払の約束であつた。

(ロ)  ところが右建物は昭和二十年五月二十九日戦災によつて焼失し、その後間もなく原告はその焼跡にバラツクを建てて住んでいたが、同年九月二十二日本件土地を含む附近一帯の土地が進駐軍のため接収され、原告の右バラツク建物も除却されたので、原告はやむなく横浜市西区久保町七十二番地に仮住居を求めて移転した。然しながら原告は接収が解除になれば再び本件土地に戻つて従前の家業を復興したいと希んでいたので、その後も屡々土地所有者三丸興業株式会社に対し接収が解除になつたら引続いて本件土地を貸してもらいたいと申入れ、そのうち罹災都市借地借家臨時処理法が施行せられるに至つたので、昭和二十三年九月八日には他の借地人と共に書留内容証明郵便を以て本件土地を引続き賃借したい旨を三丸興業に申入れた(甲第六号証)。

(ハ)  而して本件土地を含む二百九十七坪八合九勺の土地はその後昭和二十四年十二月二十七日に、三丸興業から被告山口に対し、原告外数名の借地人が居ることを双方とも承知の上で坪当り金二千円外に礼金十万円で売渡され、同日所有権移転登記が為されたので、原告外数名の借地人等は爾後数回に亘つて被告山口と折衝し、被告山口は之等借地人との関係を金銭を以て解決せんとしたが功を奏せず、そのうちに次に述べるような事情で被告山口と被告大西との間に紛争が起つたが、原告外数名の借地人等は引続き登記名義人たる被告山口に対して賃借方を折衝したので、被告山口は昭和二十六年六月二十六日原告外数名の借地人との間に、同人等が従前から右土地につき借地権を有することを確認し、その上で同日改めて「元の借地人たる原告等に右土地を建物所有の目的で引続き三十年間賃貸する、使用開始の時期は接収解除のときとし、賃料は使用開始の際に協定する、右賃借権は何時にてもその登記手続をする、尚右土地を他に売却する場合は原告等借地人の借地権維持について山口が責任を負う」との賃貸借契約(甲第二号証)を締結した。

(ニ)  ところで被告山口が三丸興業から右土地を買受けるについては、当時山口は買受資金がなかつたので被告大西に話をもちかけ、右土地の事情を説明して、右土地には数名の借地人が居るが之を金で解決して他に転売すれば相当儲かる旨を話したので、大西も大いに気が動き、その結果大西は山口に対し買受資金として坪当り二千五百円の割合による金員を支出し、尚税金などの関係から右土地は被告山口の名前で買受け登記も山口名義に移転登記をするが、大西が買受資金を出している関係上これを担保する意味でその権利証と委任状及び山口の印鑑証明書を被告大西に預けておき、後日之を有利に他へ売却するか又は大西名義に移転登記をすることを大西と山口との間で約束していた。そして被告山口はこの約束に基いて三丸興業株式会社に対しては自分が買主となつて右土地を買受けその所有権移転登記を完了し、また原告等元借地人に対しても自ら所有者として応待していたのであるが、被告山口は大西に対して前記の約束通りに権利証等の書類を交付しなかつたので、被告大西と山口との間に悶着が起り、その結果昭和二十五年一月二十一日大西と山口との間に丙第二号証の契約書が作成され、この契約書において被告山口は右土地が被告大西の所有に属することを確認し、尚右土地に関する公租公課は大西が負担し、山口は善良な管理者の注意を以て右土地を管理し、大西の承諾なくしては右土地の使用収益処分を為し得ないことを約束し、同日被告山口から大西に対して右土地の権利証と売渡委任状を交付した。然しながら山口は大西に対してその後印鑑証明書を交付しなかつたので、大西は山口によつて右土地を自由に処分されることをおそれ、昭和二十六年三月頃右土地について仮処分をする一方横浜地方検察庁に山口を告訴した。この告訴事件は不起訴になつたが、その際検事の斡旋で被告山口は大西に印鑑証明書を交付し、よつて被告大西は昭和二十六年十月六日右土地について自己に所有権移転登記手続を完了した。尚右山口と大西との間に紛争が起つている頃、原告やその他の借地人等は紛争の経過を心配して仮処分事件や告訴事件の記録を閲覧したり、借地人の一人である土志田亮太郎が被告大西方へ訪ねて行つて右土地には従前から借地人が居ることを知らせたりしたが、その頃の登記簿上の所有名義人は被告山口であつたので、前述の如く原告等借地人は被告山口との間に甲第二号証の賃貸借契約書を作成したのであつた。

(ホ)  その後昭和二十七年六月頃に至つて本件土地を含む附近の土地の接収解除が近く実現することが確実となつたので、被告大西は尾沢弁護士を通じて右土地を売りに出し、尾沢弁護士と西園寺弁護士が仲に入つて昭和二十七年六月二十七日頃被告大西から被告武蔵野映画劇場株式会社に売渡されることとなつたが、右売買交渉の際、被告大西側では原告等借地人の権利は最早対抗できないと信じていたので、買主側に対して右土地には駐留軍関係以外には質権抵当権賃借権その他何等の負担もないことを保証し、買主側たる被告武蔵野映画劇場株式会社においても右売主側の言い分を信じ、右土地に映画館を建設するつもりで更地としての当時の相場である坪三万五千円合計金一千四十二万六千百五十円で買受けることとなつたが、右被告会社は買受資金が足りなかつたので被告名和米次郎から五百万円の融資を受け、之を担保する意味で結局被告武蔵野映画劇場株式会社と被告名和米次郎が共同買受人となりその旨の売買契約を締結し(丁第一号証の一)、次いで昭和二十七年七月十日にその旨の所有権移転登記手続を完了したが、その後被告名和は被告武蔵野から右融資金の返済を受けたので、登記簿上は右土地は両者の共有となつているが実際には被告武蔵野映画劇場株式会社の単独所有となつた。

(ヘ)  ところで右のように昭和二十七年七月十日右土地の所有権移転登記が為されたので、原告外数名の借地人等は被告名和方を訪ねて借地権があることを話してその承認を求めたが埓明かず、その後昭和二十八年六月十一日接収解除となつたが、その前の同年五月二十二日頃被告武蔵野映画劇場は、いよいよ近日中に接収が解除されることが明かとなつたので、右土地の周囲に有刺鉄線と板塀をめぐらし、第三者の立入を禁止した。

(ト)  そこで原告は本件土地につき借地権があるとして本訴を提起するに至つたのであるが、本訴の繋属中に接収不動産に関する借地借家臨時処理法が制定公布されたので、原告は右法律の保護を受くべき借地権者なりとして昭和三十一年十二月三日附翌四日と五日到達の書留内容証明郵便を以て被告名和及び被告武蔵野映画劇場に対し賃借申出を為し(甲第八号証の一乃至四)、これに対し被告武蔵野映画劇場は昭和三十一年十二月十日附翌十一日到達の書留内容証明郵便を以て拒絶の意思表示をした(丁第四号証の一・二)。

以上の事実が認められ、前掲証拠中、右認定に牴触する部分は採用しない。

(三)  そうすると、原告が大正八年八月十四日普通建物所有の目的で本件土地を賃借した当時は期間の定めはなかつたのであるが、その後大正十年借地法の施行にともない同法第十七条の規定によつて、右借地権の存続期間は同法施行前に経過した年月を算入して二十ケ年即ち昭和十四年八月十三日までと定められ、更にその後も原告は引続いて地上建物を所有して賃借関係を継続し、賃貸人も之に対し異議を述べなかつたのであるから、法定更新によりその借地権は更に二十ケ年即ち昭和三十三年八月十三日まで存続すべきものであり、そしてその存続期間中なる昭和二十年五月二十九日に原告所有の登記せる地上建物が戦災によつて滅失したのであるから、原告は罹災都市借地借家臨時処理法第十条により、借地権の登記がなくまた登記せる建物がなくても、昭和二十一年七月一日から五ケ年以内の昭和二十六年六月三十日までの間に本件土地の権利を取得した第三者に対してその借地権を対抗することができるのであり、従つて斯る第三取得者は前賃貸人の地位を承継し、原告に対してその借地権の内容に応じて本件土地を使用収益せしむべき義務を負うわけである。

(四)  而して被告山口が訴外三丸興業から本件土地を買受けその所有権を取得した日時は昭和二十四年十二月二十七日である(このことは被告山口も自認しているところである)。そうすると被告山口は罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の昭和二十一年七月一日から五ケ年以内に本件土地の所有権を取得した第三者であるから、原告は前記借地権を以て被告山口に対抗することができ、被告山口は前賃貸人たる三丸興業の地位を承継して原告に対してその借地権の内容に応じて本件土地を引続き賃貸すべき義務があつたもので、之を他に転売して原告の借地権の行使を不能にして了つたことは賃貸人としての義務不履行というべきである。

(五)  次に被告大西が本件土地の所有権を取得した日時について、被告大西は同被告が昭和二十四年十二月二十七日に山口を介して三丸興業から本件土地を買受けその所有権を取得した旨主張しているのであるが、既に認定した事実によれば、被告山口は被告大西の代理人又は使者或は仲介人として売買の交渉に当つたものではなく、自分が買受人として三丸興業から本件土地を買取つたもので、被告大西は被告山口に買受資金を拠出した関係上これを担保する意味で本件土地の権利証や委任状印鑑証明書等を被告山口から預ることを約束したものであるが、被告山口がこの約束を実行しなかつたので、被告大西は昭和二十五年一月二十一日被告山口に交渉して本件土地が被告大西の所有に属することを確認せしめたことが認められるのであるから(以上認定に牴触する被告本人大西清輔の供述並に丙第二号証の記載部分は当裁判所が採用しないことは既に供べた通りである)、この時において被告大西は自己が拠出した買受資金の代償として本件土地の所有を取得したものと認めるのが相当である。

そうすると被告大西もまた罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の五ケ年の期間たる昭和二十六年六月三十日以内に本件土地の所有権を取得した第三者であるから、原告主張の如き被告山口と被告大西間の本件土地の譲渡において大西が原告の借地権を承継すべき約束をしたか否かの点を判断するまでもなく、原告はその借地権をもつて被告大西に対抗し得るのであり、被告大西は前賃貸人たる地位を承継して原告に対し本件土地をその借地権の内容に応じて使用収益せしむべき義務を負うものであつて、同被告が之を他に転売して原告の借地権の行使を不能にして了つたことは賃貸人としての義務不履行というべきである。

尚此処に一言すべきは、被告大西が本件土地の所有権移転登記を経由した日時は既述の如く昭和二十六年十月六日であるので、この点から見ると被告大西は昭和二十六年六月三十日以後に本件土地の所有権を取得したものとして原告の借地権は被告大西には対抗できないのではないかとの点であるが、然しながら罹災都市借地借家臨時処理法第十条を所謂「五ケ年以内に権利を取得した第三者」というのは実際に五ケ年以内に該土地につき権利を取得した第三者をいうのであつて、権利を取得し且つその登記を経由した第三者と解すべきではない。何とならば第三者の登記はその第三者が他の者に向つて自己の権利を主張するのに必要な対抗要件即ち第三者自身のための要件に過ぎないものであるから、借地権者において実際上権利を取得した第三者に向つて自己の借地権を主張するにはその第三者が登記を経由したると否とは問はないのである。若しそうでなければ、借地権の負担のある土地の所有権を取得した第三者が故意に登記を遅らせることによつて容易に罹災都市借地借家臨時処理法第十条の適用を免れることとなり、かくては借地権の保護を目的とした右規定は殆んど無意味のものとなるであろう。

(六)  次に被告名和米次郎同武蔵野映画劇場株式会社が本件土地の所有権を取得した日時は昭和二十七年七月十日であつて、罹災都市借地借家臨時処理第十条所定の五ケ年の期間たる昭和二十六年六月三十日以後のことであるから、同被告等に対しては原告は右十条による保護は受けられない。

ところで原告は、同被告等が被告大西から本件土地の譲渡を受けるについては被告大西と同被告等間において原告の借地権を承継すべき旨の契約があつたから原告は本訴において受諾の意思表示をする、と主張するのであるが、既に認定したところによれば、斯る契約があつたことを認めるに足る証拠はなく、却つて同被告等は大西から借地権その他何等の負担なき更地として坪当り三万五千円の値段で買受けたことが認められるのであるから、原告の右主張も理由がない。

更に原告は、接収不動産に関する借地借家臨時処理法第三条第二項に該当する借地権者であるから同条に基いて被告名和同武蔵野映画劇場に対し昭和三十一年十二月三日附書留内容証明郵便を以て賃借の申出をした、と主張するので、この点を検討するに、原告は罹災前本件地上に登記した建物を所有していた借地権者であるが、昭和二十年五月二十九日の戦災で右地上建物が滅失したため、その後間もなく焼跡にバラツク建物を建築して其処に居住していたところ、昭和二十年九月二十二日接収により該バラツク建物が除却されたことは既に認定の通りである。而して右の如き建物の戦災による滅失及び賃借土地の接収によつて借地権が消滅すべきものではなく原告は引続き本件土地について借地権を有していた(このことは本件では前賃貸人たる訴外三丸興業も承認していた)。従つて原告は罹災都市借地借家臨時処理法第十条による保護を受け、借地権の登記がなく且つ地上に登記した建物を所有していなくても、昭和二十一年七月一日から昭和二十六年六月三十日まで五年間以内に右土地の所有権を取得した第三者に対して借地権を対抗することができ、その結果斯る第三取得者は賃貸人たる地位の承継者として借地人に対しその借地権の内容に応じた使用収益を為さしむべき義務を有することも既に述べた通りである。ところで罹災都市借地借家臨時処理法においては右五年以後に土地の所有権を取得した第三者に対しては、借地権の登記又は地上建物の登記がなければ最早借地権を対抗し得ないものとして保護を打切られるのであるが、その理由とするところは、元来罹災都市借地借家臨時処理法は罹災土地の急速な復興を計るために制定されたもので、罹災建物(疎開建物も含む)の借主にして建物建設の意欲と資力ある者に対しても借地権を取得する機会を与えると共に、之等新に借地権を取得すべき者と旧借地権者及び土地所有者との間の調整を計ることを目的としたものであるから、五ケ年間を経過しても罹災土地の上に登記ある建物も建築しないで放置しておくような借地権者は罹災土地の早急な復興という見地から保護に価しないとの理由に基くものと思はれる。然しながら本件の場合のように借地人に復興の意欲がないのではなくて、罹災土地が接収されているために借地人がその地上に登記ある建物を建てたくても建てられない場合に、そのような状態で五ケ年を経過してしまへば最早法律の保護を受けられない(罹災都市借地借家臨時処理法第十条では斯る場合は如何んともしがたい)ということは明らかに片手落ちである。そこで接収不動産に関する借地借家臨時処理法を見るに同法は駐留軍等の用に供するため接収された土地又は建物に関し、その接収解除後における借地借家関係を調整することを目的として制定されたものであるから、従つて接収地が罹災地であると疎開地であると又はそれぞれ以外の土地であるとを問はず、苛くも接収によつて借地借家問題が生じた場合にはその調整をはかるために適用さるべき筈である。ところで同法第三条第二項には「土地が接収された当時から引続きその土地に借地権を有する者で、その土地にある当該借地権者の所有に属する登記した建物が接収中に滅失(接収の際における除却を含む)したため、その借地権をもつてこの法律施行の日までにその土地について権利を取得した第三者に対抗することができない者は、………その土地の所有者に対し、この法律施行の日から六ケ月以内に建物所有の目的で賃借の申出をすることによつて、他の者に優先して、………その土地を賃借することができる。」と規定されており右のように「登記した建物が接収中に滅失(接収の際における除却を含む)したため」という文言が用いられているため、本件の場合の如く登記した建物は既に戦災によつて滅失し接収の際には存しなかつた(尤も本件ではバラツク建があつた)ような場合には、一見して文言上からは右第三条第二項に該当しないかの如く見えるが、然しながら右第三条第二項は罹災地や疎開地に非ざる土地が接収された場合を例にとつて斯る立言方法を用いたものと見るべきもので、その言はんとする趣旨は要するに「従来建物の登記という方法で借地権の対抗要件を具備していた者が接収中又は接収の際建物の滅失又は除却により対抗要件を失つた場合」という意味であり、而して罹災地については罹災都市借地借家臨時処理法第十条によつて「借地権はその地上に登記した建物がなくても昭和二十六年六月三十日までに該土地の所有権を取得した第三者に対抗し得るのであるが、それ以後に該土地の所有権を取得した第三者に対しては登記した建物がなければ対抗し得ない」のであるから、斯る罹災土地が接収された場合には、接収当時は登記した建物があるのと同様に対抗力を有する借地権(即ち前記処理法第十条の保護を受ける借地権)があるわけであるが、接収中に昭和二十六年六月三十日の期日を経過しそしてその後も接収が継続している場合には、借地権者はその地上に登記した建物を所有し得ないためにその後にその土地の所有権を取得した第三者に借地権を対抗し得ないこととなり、恰も接収不動産借地借家臨時処理法第三条第二項に規定する「接収中に登記した建物が滅失したためにその後にその土地の権利を取得した第三者に対抗し得ない」場合と同じ結果になる。従つて右の如き罹災土地が接収された場合には、文言の上からは直接前記処理法第三条第二項にあてはまらなくても、当然にその適用があるものと解すべきである。そしてこのことは同法第三条第五項に「第一項又は第二項に規定する借地権者の借地権が接収された当時第三者に対抗することができない借地権であるときはこれらの規定は適用しない」と規定されていること、及び同法第十二条において、罹災都市借地借家臨時処理法第九条所定の疎開建物の敷地の借地権者(即ち同法施行当時借地権が既に消滅して了つている者でも同法施行の日から二ケ年内たる昭和二十三年九月十四日までに土地所有者に対して賃借の申出をすれば他の者に優先して賃借することができるというその疎開建物の敷地の借地権者)に対してすら接収不動産借地借家臨時処理法第三条(但し第二項を除く)第四条(但し第二項を除く)第五条乃至第七条の規定が準用されていることから見ても明かであり、罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の借地権者には当然接収不動産借地借家臨時処理法第三条第二項及び第四条第二項の適用があることを示しているものと言い得るのである。そうすると原告は右処理法第三条第二項の規定に基いて、罹災都市借地借家臨時処理法第十条所定の昭和二十六年六月三十日以後接収不動産借地借家臨時処理法施行の日までの間に本件土地の所有権を取得した被告名和同武蔵野映画劇場に対して、右施行の日から六ケ月以内に賃借の申出をする権利を有するわけである。

而して原告が昭和三十一年十二月三日附翌四日及び五日到達の書面を以て右被告等に対して賃借の申出をしたこと、及びこの申出に対し被告武蔵野映画劇場が昭和三十一年十二月十日附翌十一日到達の書面によつて原告に対し拒絶の意思表示をしたことは既に認定した通りである。よつてその効果について按ずるに、既述の如く被告名和は登記簿上は本件土地の共有者となつているが、それは被告武蔵野映画劇場が本件土地を買受けるに当り買受資金が不足したため被告名和が金五百万円程を被告武蔵野に融通しその担保の意味で両名が共同買受人となりその旨の共有登記をしたためであつて、その後被告名和が融通した右金員は返済を受けたので同被告の共有権は実際上は既に消滅して了つていることが認められるのであるから、被告名和に対する原告の賃借申出はその効力を生じない。次に被告武蔵野については、同被告は本件土地上に映画館を建設する目的で買受けたもので、その買受けに当つては別に原告の借地権を害することを知りながら買受けたものではなく、寧ろ借地権等の負担のない更地として、当時の更地の時価である坪当り三万五千円総額千四十二万六千百五十万円の巨費を投じて之を買受けたもので、然も右映画館の建設については既に竹中工務店に設計を依頼しその建築の準備に着手していることが認められるから斯る事実は接収不動産借地借家臨時処理法第三条第四項に「建物所有の目的で自ら使用することを必要とする場合その他正当の事由がある場合」というに該当するものということができる。そうすると被告武蔵野が為した前記拒絶は有効であるから、原告の賃借申出によつて借地権を取得すべき効果は生じない。

更に原告は接収不動産借地借家臨時処理法第八条に該当する旨を主張するが、同条は前記第三条第二項との対照上、同法律施行当時には未だ第三取得者がなく、その施行後一年以内に第三取得者が出た場合にのみ適用があるものと解すべきであるから、この原告の主張は採用し得ない。

そうすると被告名和同武蔵野に対しては原告はいづれにしても借地権を主張することを得ないから、同被告等に対する借地権に基く本件土地の引渡又は借地権を有することを前提とする賃貸義務不履行による損害賠償請求はともに理由がない。

(七)  よつて更に被告山口同大西に対する賃貸義務不履行による原告の損害賠償の請求について按ずるに、訴外三丸興業に対する原告の借地権の存続期間が昭和三十三年八月十三日までであること、及び被告山口同大西等は罹災都市借地借家臨時処理法の規定に基いてその前主たる訴外三丸興業の賃貸人たる地位を承継し、原告に対してその借地権の内容に応じて本件土地を賃貸すべき義務を負うものであることは既に述べたところである。

然るに原告は、被告山口は昭和二十六年六月二十六日原告等借地人との間に接収解除の日から向う三十年間賃貸すべき旨の賃貸借契約を締結し、そして被告大西は被告山口との間で原告が有する右借地権を承継すべき旨の契約を為したから原告は本訴において之が受諾の意思表示をすると主張するのであるが、既に認定したところによれば、本件土地の所有権は昭和二十五年一月二十一日に被告山口から被告大西に移転し、前記山口が原告等との間に甲第二号証による契約を締結した昭和二十六年六月二十六日当時においては、山口は既に本件土地の所有者ではなかつたのであるから、該契約は原始的に履行不能の状態にあつたものというべきである。

そうすると原告等は該契約によつて被告山口に対し接収解除の日から向う三十年間の存続期間を有する借地権を取得するに由なく、従つて被告大西も斯る原告の借地権を承継する筈はないのであつて、原告の借地権は前所有者たる訴外三丸興業に対して有した前掲借地権を被告山口同大西等に対抗し得るに過ぎない。而して本件土地につき接収が解除された日が昭和二十八年六月十一日であることは既に認定した通りであるから、そうすると原告が本件土地を使用収益し得べき権利は右解除の日から昭和三十三年八月十三日まで約五年二ケ月の期間存続するに止まる。(尤も接収不動産借地借家臨時処理法第九条第二項の規定により原告が右法律施行の日から二年内に本件地上に建物を建築した場合においては、借地法第四条の規定に従つて契約の更新を請求すれば前契約と同一条件即ち更に二十年間本件土地を使用収益する権利を取得しうる可能性があつたのであるが、その場合でも被告山口同大西等が自ら使用する必要があることその他正当事由に基いて異議を述べれば更新が出来ないのであつて、之等はいづれも単に可能性の問題に過ぎないから、確定的に原告が本件土地を使用収益し得る標準をはなし得ない)。

而して被告山口同大西等の賃貸義務不履行によつて原告が蒙るべき損害は、原告が本件土地を右借地権の存続期間中使用収益し得なかつたことによつて生ずる損害というべきであるから、本件においてはその損害は、本件土地の立地条件・原告の有する借地権の存続期間・並びに原告の豆類加工卸小売業経営による本件土地の使用方法等を勘案して金三十万円と認めるのを相当と考える。従つて被告山口同大西は各自原告に対して右金員を賠償すべき義務がある。(ちなみに鑑定人山高民三郎氏の鑑定によれば、本件土地の借地権の価格を昭和二十八年から昭和三十年当時として金百十五万円乃至金二百三万円と評価しているのであるが、それは借地権の存続期間が以後三十年間あるものとしての借地権の評価である。そして賃貸義務不履行により借地人の蒙るべき損害は結局借地権の価格によるべきものであるとの原告の主張については、恰もその損害が該土地を使用収益し得ないことによつて生ずる損害ではなく借地権の譲渡価格を失つたことによる損害と解しているように思はれるのでにわかに賛同し得ないところであるが、然しながら斯る借地権の評価も賃貸義務不履行による損害を算定する一資料と為し得ることは言うまでもないことである。そして右鑑定に基いて原告が実際に本件土地を使用し得べき借地権の存続期間即ち昭和二十八年六月十一日から昭和三十三年八月十三日まで約五年二ケ月間の借地権の価格を割出せば、その価格は約三十三万八千餘円となるのであつて、この資料から見ても、前記の如く被告山口同大西等の賃貸義務不履行によつて原告が蒙つた損害を金三十万円と算定したことは正当であると信ずる)。

(八)  よつて原告の被告等四名に対する請求中、被告山口同大西に対して各自金三十万円の損害賠償を求める範囲についてのみ原告の請求を正当として認容し、その餘は失当として棄却し、訴訟費用は之を五分し、その四を原告負担、他を被告山口同大西の負担と定め、尚原告勝訴の部分につき担保を条件として仮執行を許容し、主文の通り判決する。

(裁判官 石沢三千雄)

目録

横浜市中区長者町八丁目百十九番地

一、宅地 二百九十七坪八合九勺

のうち別紙図面記載の間口六・〇二五間、奥行五・八間の約三十五坪七合四勺の土地

図<省略>

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